茂木健一郎さん×梯郁太郎さん 対談「音楽とイノベーター」

2011年8月28日、六本木ヒルズのハリウッドプラザで、
公益財団法人ローランド芸術文化振興財団の主催する対談が行われた。
MUSIC 夢 SCHOOL 〜音楽で育む「夢を描く力」〜
スペシャル対談 第1弾 「音楽とイノベーター」である。
ホスト・インタビュアーは、脳科学者の茂木健一郎さん。
ゲストの梯(かけはし)郁太郎さんは、
大手電子楽器メーカー、ローランド株式会社の創業者であり、
現在は、ローランド芸術文化振興財団の理事長である。
梯さんは、1930年生まれで、80歳超!
肺がお悪いとのことで、2ヶ月ほど前にも入院されたが、
病と闘いながら新しい事業に挑戦し続ける、並外れたパワーには、
本当に驚き、敬服する思いだ。
両親を亡くし、祖父母に育てられた梯さんは、
戦争が終わって、「これで大学に行かれる」と希望を抱いたが、
結核に倒れ、4年もの入院生活を強いられた。
ところが入院中、返済の当てもないのに大借金。
公務員のお給料が2000円だか2500円だかの時代に、
なんと4万円のブラウン管を購入し、
14インチのテレビを手作りしたという。
テレビ放送は、試験的にしか放送されていなかった時代、
短時間のドラマなど、限られた番組しかない状況での、
梯青年の決断力、行動力には、ただただ驚嘆する。
ちなみに、梯さんの手作りのテレビは、
競輪の選手が購入したそうだ。
さらに梯さんは、オルガンの試作品第1号も完成させる。
戦争の影響で、梯さんは消防署のブラスバンドしか聴いたことがなく、
終戦後、欧米の音楽に触れて、大変ショックを受けたそうだ。
それにしても、「オルガンの原理が簡単だと思った」という梯さんの言葉は、
機械オンチの私には驚きだ。
さかのぼるが、梯さんには、時計店を宮崎県で開いた経験があった。
それは1947年のこと。
梯さんは、なんと16歳だった!
新品を扱うのではなく、修理ばかりが仕事だったという。
写真で見る「かけはし時計店」は、昔の田舎のお店といった、
とてものどかな雰囲気だった。
1960年、エース電子工業株式会社を創立。
写真では、広大な敷地に、大きな工場がど〜んと建ち、
さっきの、のどかな時計店との違いに、唖然とするばかりだ。
その後、この工場を手放し、
1972年、いよいよローランドを立ち上げるのだが、
梯さんは、ご自分の人生を振り返って、
向こう見ずの連続だった、と語る。
梯さんが、何度も対談の中で述べた言葉は、
「続けることですよ」、
「成功するまで続ければ、成功します」。
話し続けると、呼吸が苦しくなるとのことで、
鼻に管を通していたのだが、
その痛々しい姿と、エネルギッシュな語り口のギャップに、
私は、信じられない思いでいっぱいだった。
ローランドの開発した往年の名機の数々も、
写真で紹介された。
1980年代のTR-808などが紹介されると、
私も、なんだか懐かしく、嬉しい気持ちに・・・。
機材の歴史のその先には、現在ローランドが出している、
最新のものもあった。
例えば、今回のこの対談を、UStream配信するために使われた
VR-5。
梯さんは「やっと、音と映像の融合の時代になった」と述べる。
現代のインターネットのメディアでは、
音と映像を組み合わせて扱うものが主流であることに着目、
音と映像を同時に処理できる機械を
開発しようと思ったそうだ。
梯さんは強調する。
「一人では、絶対やれない。
 自分よりその技術に詳しい人を、パートナーにしないと。
 チームを作らないと」。
「裸でぶつからないと、相手のことはわからない」と述べ、
自分からしゃべろう、オープンにしよう、と提案する。
「まず夢を見ないと。
 それから語る。
 夢見ないと、語れない」。
病に倒れる時期もあった一方、
48時間もぶっ続けでラジオを組んだりしていた
熱血少年の面影そのままの笑顔。
とても印象に残ったのは、
梯さんが対談で述べた最後の言葉。
ローランドの楽器を使ってください、
使った人から文句を言われるのが狙いだ、というものである。
「良かった、と言われても、
 ありがとう、と言うしかないからね」。
常人の考える不屈の精神などを、はるかに超えた境地だ。