「源氏物語」を皆で朗読

9月最後の日曜日、青山のNHK文化センターで、
源氏物語」の朗読の講座がありました。
加賀美幸子さんのもと、6、70名にも達するかの
大勢の受講生が集まりました。
東京には台風が近づいていて、多少不安があります。
それでも朗読が始まるやいなや、すっかり「源氏物語」の世界に
引き込まれていきました。


加賀美さんは、優しく、力強く語ります。


「どこを読んでも、どの章を読んでも、感じるものがあります。
 私たちの通ってきた道、
 喜び、悲しみ・・・。
 日本の古典は、“長いストーリー性”より“場面場面”に魅力があるのです。
 好きな章だけ読んでいい。
 どこから読んでもいい。
 好きなところを、まず読むのです」。


受講生がとても多いので、ひとりずつではなく、
皆一緒に朗読することになりました。

「桐壺巻 若宮誕生」。
“世になく清らなる玉の男御子”、光源氏誕生の場面。
続いて、「紅葉賀巻 青海波の舞」。
藤壺の前で舞う、若き源氏の場面。


加賀美さんはにっこり。


「いいですね〜。みんなばらばらなのが。
 私は、この“違い”に耳を澄まします。
 これぞ朗読です。」

朗読では、読む人がどうとらえているか周りにわかってしまう、
それがこわいけれど、おもしろい、
自分がどう読むか、きまりはない、
自由に読むのです、とのこと。
「先生と同じでは気持ち悪い。
 一人一人、違う方が良いのです」、
と、はっきり言い切りました。


「若紫巻」。
光源氏と女の子(後の紫の上)との出会いの場面。
女の子と尼君とのやり取りについて。

「朗読におけるセリフでは、作ったりせず、感情を込めず、
 自然に読みます。
 押さえても、押さえても、自然に出てきます」。


加賀美さんは、“自然”であることを、とても大切にします。



朗読の基本とは、どんな場合でも自然に、わかりやすく読むことなのだそうです。
昔の人がどう読んだかわからない、
皆、普通に読んだのですよ、
だから現代の私たちが不自然な、妙な節回しで読むのはおかしい。
また、声は大き過ぎてもいけない、
息づかいを大切にするのです、と言います。


紫式部源氏物語を書きながら、女房たちに聞かせたのかしら、
どんな声だったのかしら、
それとも読むのがうまい人に読ませたのかしらね、
と、加賀美さんは、いにしえの女性たちに思いを馳せます。


また、昔は紙がなかったから、皆で声を合わせて読んだ、
だから、原文は読みやすい、とのことです。
(黙読が始まったのは、紙が普及した19世紀からと言われるのだそうです)。


末摘花、空蝉、花散里が好き、と加賀美さんは打ち明けました。
地味で、美しいといえないけれど、
まじめで優しく、誠意のある人たちだからなのだそうです。
男性作家だと、こうはいかない、
女性である式部だからこそ、このように描いたのだと思う、とのことです。
この3人を、源氏が大切にする、
だから源氏が好き、
このように源氏を描く紫式部が好き、
そして、式部の構成力、演出力はすばらしい、と。


「今、生きるために古典を読むのです」と加賀美さんは私たちに語りかけます。
「今、日本は大変ですが、源氏を読むと、
 日本のすばらしさを改めて感じます。
 シェークスピアシェークスピアと言われますが、
 日本には源氏があるのですよ。」


970年頃生まれた紫式部は、1564年生まれのシェークスピアより
500年以上も昔の時代に生きた人物です。
王朝を舞台とした長編小説「源氏物語」は、世界的に見ても、
傑出した作品です。
私も、故国の文化は、自分を支え形作る大切な存在だと思います。
けれども残念なことに、私は自分の国、日本の文学のすばらしさを、
あまり味わう機会がなく過ごしてきました。


私はこれから古典を通じて、朗読を通じて、
日本の文学、日本の美しいことば、日本の歩んできた道に
触れていきたいと思います。


加賀美さんの楽しいお話に登場した「枕草子」、「徒然草」を、
講座の帰り道に早速、書店に立ち寄って注文しました。