枕草子 朗読講座 第3回

「専門家が指導するままに読むのでは、
 形だけの朗読となってしまいます。


 作り手の心に添うのです。
 ただし、やり過ぎず、自然に。


 心を読んで、自然に朗読するのです。
 形で読むのではありません。


 形があれば、形の後ろに隠れることができるので、楽です。
 自然に読むのは、自分が現れてしまうので、こわい。


 形で読むだけなら簡単なのですが、
 そうしていたら、これほど長く朗読を続けることはできなかったでしょう」。


加賀美幸子さんの「枕草子」朗読講座第3回。
まず復習として、今まで朗読した段を、受講生が名簿順に
ひとりひとり読んでいきます。


「すらすら、ではなく、ゆっくり読んでください」。
「ゆっくりでいいんです。今の方のように」。
「今ぐらいに切りながら、ゆっくり読むといいですね」。
「今のように、念を押しながら読むといいですよ。
 二回目からは、すらすらと読めるでしょうが、
 ゆっくり読むといいのですよ」。


30名あまりが順番に「枕草子」を朗読していく中、
加賀美さんは、何度も「ゆっくりと」とアドバイスします。
確かにすらすら読むと、文字ばかり追うことになり、
清少納言の心に、添うことができなくなってしまいます。


私は名簿上、一番最後です(「ヨ」なので)。
この復習に参加できるのか、ちょっと不安でした。
けれども、復習箇所の最後に、
ちょうど私の順番が回ってきました。


「第一一八段。
 菊子さん、最後の締めです。
 短いところを読むのは、難しいですよ」。


本当に短い文章でした。


  “冬は、いみじうさむき。
   夏は、世に知らずあつき”。


私は、清少納言が書いたときの気持ちを想像し、
また言葉の余白、間を大切にして、
ゆっくりと読みました。


けれども、清少納言の心に添う、というよりも、
私自身の経験や先入観にとらわれてしまったようです。


「今、どういうつもりで読みましたか?」
と、加賀美さんはたずねました。


「はい、第一段の『春はあけぼの』では、
 清少納言は冬の寒さを“良いもの”として書きました。
 けれども、この第一一八段では、私はどう読もうかと考えて、
 寒さ暑さを“つらい”として読んでみました」。


「吉田さんの読み方から、“つらい”という気持ちが伝わりました。
 ふたつの読み方から、そちらを選んだのですね。
 私だったら、『冬は寒いものよ、夏は暑いものよ』という
 つもりで読みますよ」。


確かに、清少納言という作者の、統一された人物像を考えるなら、
第一段で冬の寒さを“良いもの”としていたのですから、
第一一八段での冬の寒さも、“良いもの”とする方が自然です。
ところが私は、自分が夏の暑さに弱いせいで、
ついつい自分を中心に考え、
“つらい”と表現してしまいました。
(もし、この段が、
  “冬は、いみじうさむき。”
だけで完結していたら、
冬には比較的強い私は、寒さを“良いもの”としたまま
朗読していたでしょう。
どちらにしても、自分中心になりがちだということです。)


「でも、良いのですよ。
 自分が考えた通りに読めば良いのです」。


励ましてくださる加賀美さん。


作者の心に添うということは、思っている以上に難しいとわかりました。


作者の心に添い、自然に朗読する、
そのように心がけていくうちに、
清少納言という平安時代の女性が、とても身近に感じられるようになり、
親しい友達となりそうな予感がします。