枕草子 朗読講座 第4回

東京も大雪となった「成人の日」の翌日、
雪道を踏みしめ、青山に向かいました。
加賀美幸子さんの朗読講座、「枕草子 第4回」です。


  雪のいと高うはあらで、
  うすらかに降りたるなどは、いとこそをかしけれ。
  また、雪のいと高う降りつもりたる夕暮より、
  端近う、おなじ心なる人二三人ばかり、
  火桶を中にすゑて物語などするほどに、
  暗うなりぬれど、こなたには火もともさぬに、
  おほかたの雪の光いとしろう見えたるに、
  火箸して灰など掻きすさみて、
  あはれなるもをかしきもいひあはせたるこそ
  をかしけれ。(後略)    第一八一段より


皆で声を合わせたり、ひとりずつ読んだり。
雪景色の中を来たこともあり、雪がテーマのこの段には、
特に親しみを感じます。


加賀美さんも、にこにことして語ります。
「雪は、うっすらと降っても、たくさん降っても、
 どちらもよい。
 清少納言のことを、『明快だ』と言う人がいますが、
 それどころか、清少納言は”これもいいじゃない、
 あれもいいじゃない”、と言っています。
 みんないい」。
皆、うなずきながら聞いています。
「古典の勉強でも、しっかりがんばっている人もいますし、
 のんびりやっている人もいます」。
会場には、思わず笑いがもれます。
「どちらもよいのです」。
のんびり派の私は、ほっと胸をなでおろします。


日本語に加え、文の構造の異なる英語を自在に操る人は、
思考においても、複数の”人格”が身につくそうです。
英語では、主語の後、すぐ動詞が来ます。
ですから英語を操る時は、合理的、効率的な思考プロセスとなり、
まず明快に結論を述べてから説明に入る、という手順に
自然となるようです。


関東弁と関西弁の両方をしゃべる人も、
複数の”人格”を使い分けるそうです。
ビジネスの場で、理知的でクールな雰囲気を醸し出している人が、
学生時代の友人と関西弁でしゃべり始めると、
あら不思議。
喜怒哀楽の表情も、言葉も、とても大げさになり、
ボケたり突っ込んだりを始めます。


ショパンピアノ曲を全て覚え、ステージで次から次へと
1日中弾き続ける、ピアニストの横山幸雄さん。
横山さんも、演奏の間はご自身がショパンになったような気がしていると、
何度もコンサートで述べています。


清少納言の思いを、いにしえの言葉を用いて
私の口から発することを続ければ、
いつか、清少納言のものの見方や感じ方が、
私の中から自然に湧いて出て、
“私の人生”以上の豊かな人生を、送ることができるように
なるのかもしれません。