ピアニスト中村紘子さんの公開講座

新宿の朝日カルチャーセンターで、
ピアニスト中村紘子さんを講師にお招きした講座
「ピアニストの系譜−その血脈を探る−」が行われた。
音楽評論家の真嶋雄大さんが聞き手となり、
中村さんの様々な経験が語られていった。
配布された資料には、ベートーヴェンから始まる系譜。
29人の音楽家が登場する。
その一部をごく簡単に紹介すると、次のようになる。
まず、ベートーヴェン
そしてベートーヴェンの弟子、ツェルニー
その弟子は3人。
レシェティツキー、リスト、クーラック。
レシェティツキーの弟子は10人。
サフォノフ、パデレフスキーシュナーベルなど。
サフォノフの弟子はレヴィン。
レヴィンの弟子が、中村紘子さん。
ベートーヴェンから中村さんまでが、
とても近い位置にあり、驚いた。
中村さんは、いろいろと興味深い話を披露した。
例えばレシェティツキー(ポーランド)が、
弟子を選ぶ条件は3つ。
1. スラブ系であること
2. ユダヤ系であること
3. 子供の頃から天才と言われた人
中村さんは「最初から、そういう人だけを弟子にするなら、楽ね」
と笑っていた。
レシェティツキーの弟子たちの中でも、
パデレフスキー(ポーランド)は、異色の存在。
子供の頃から「才能がない」と言われ続け、
20歳を過ぎてからレシェティツキーに師事したが、
レシェティツキーからも、ピアニストになることをやめるように
言われたそうだ。
ところが、20代後半に行ったパリ・デビューコンサートで
急に人気が高まり、アメリカでも大スターに。
中村さんは、パデレフスキーは金髪でカッコ良くカリスマ性があり、
それが演奏の不足分を補ったのでは、と考える。
パデレフスキーは、聴衆動員数の大記録を作り、
「超お金持ち」となった。
自家用の列車も持っていて、
ピアノも、コックも、妻の美容師も、子供の家庭教師も、
皆乗せて、走らせたらしい。
そして、海外に亡命していた人々を呼び寄せ、
私的な義勇団を結成。
ポーランドの独立を勝ち取り、
パデレフスキーは初代首相になったという。
中村さんは、こんなことも述べた。
ショパンの母はポーランド人で、父はフランス人。
ショパンは人生前半をポーランド、後半をフランスで過ごしたが、
ショパンは、パリで大変な人気者となったため、
ほとんどフランスのものになりかけていた。
ショパンの楽譜の校訂も行ったパデレフスキーは、
ショパンを、ポーランドの方に奪い返そうとしたのではないか。
また、ショパンコンクールは、ショパンを強力に
ポーランドに引き戻そうとするものではないか。
さて、ところが、中村さんによると、
最近ヨーロッパでは、音楽を学ぶ子供が少なくなっている。
楽家よりも、サッカー選手や、IT長者になってほしいと
望む親が、増えているのだそうだ。
近年、音楽界では、アジア系、特に中国の進出がめざましいと言う。
今年はショパン生誕200年。
しかも5年に一度のショパンコンクールが開催される年だ。
中村さんも、コンクールの行方にとても期待をしているようだった。