茂木健一郎×加藤 徹 対談「悩は脳なり−中国古典の創造世界−」

加藤 徹さんは、中国文学、中国文化の専門家。
とても気さくな雰囲気の方で、身振り手振り、
ジョークを交えながら、わかりやすく語った。
今回、茂木さんは、まるで加藤さんの生徒のよう。
いろいろ質問して、びっくりしたり、面白がったり。
文字の起源から、現代中国の言論統制まで、
幅広い話題で盛り上がり、
とても楽しい対談となった。
特に印象に残ったことは、
「漢文は読むものであり、
 耳から聞くと、中国人でさえ理解できない」。
以下、加藤さんの話を紹介しよう。
「漢文は、話し言葉ではない。
 アルファベットを使う西洋では、
 シーザーの昔から演説が行われていたが、
 中国人は演説などしない。
 漢字では、同じ発音をする語が多いので、
 耳で聞いただけでは、わからないのだ。
 ところが一方、漢文の読めない中国人は多い。
 話し言葉として、北京語、上海語・・・、
 地域ごとにそれぞれの言葉が使われる。
 ところで、日本の漢文教育とは、
 日本語のひとつを学ぶことであり、
 中国語を学ぶことではない」。
(注…漢文を学ぶには、論語から入ると良いそうだ)
特に会場が沸いたのは、
加藤さんが、昔の漢文教育の様子を、再現しようとした時。
竹刀をビシバシ振るマネをし、
塾生たち(?)を叱咤する。
昔は、ローマ字も振り仮名もなかったので、
漢文の素読では、読めさえすればそれでよく、
意味など教えなかったのだそうだ。
意味を尋ねる塾生もいなかったらしい。
師範は、有無を言わさず、
読み方を暗記させただけという。
現代の英語教育で、英文を音読させるだけ、
和訳をさせない、ということは、
あり得ないだろう。
ピアノ教育に、置き換えると、
楽譜の読み方と指の動かし方を教えるが、
音楽の美しさを味わうことをしない、
ということだろうか?
加藤先生の話をきっかけに、
脱線、いろいろ想像してしまった・・・