茂木健一郎×羽生善治 対談「脳と将棋」

脳科学者の茂木健一郎さんと、棋士羽生善治さんの対談が、
新宿の住友ホールで行われた。
羽生さんは、きりっとしたスーツ姿。
茂木さんの、「AKB48ってどう思います? 」
などの突拍子もない質問に、時に幾分当惑しながらも、
終始穏やかな表情で、ユーモアを交えながら、回答をしていた。
(ちなみに、AKB48については、
「いえ、私、知らないんですよ」とのこと)
羽生さんの話の中で、特に印象に残ったのは、
集中力について。
羽生さんは、眠っている時以外は、歩いていても何をしていても、
将棋のことを考えられるのだそうだ。
(ただし、「でも、あんまりそうなるのも、どうかなぁと思う」とのこと。)
将棋では、盤の上だけで、ある意味世界が完結しており、
さらに実際に将棋盤がなくても、頭の中で、
想像上の将棋盤を使って、駒を動かすことができるからだ。
あまりに危険なので、車の運転をやめ、
電車通勤に変えた、というエピソードもある。
非常に集中した後、我に返るわけなのだが、そこで茂木さんから質問。

茂木さん 「我に返れないと、行っちゃったまま? 」
羽生さん 「そうなったら、ここにいませんよ(笑)」
茂木さん 「外的要因があって、我に返るわけだ」
羽生さん 「でも、外的要因がないと、そもそも集中しないですよ」

一人では、集中した状態にならない。
「道を歩いていて、そうなる必要はないから(笑)」。
羽生さんが集中する時は、もぐって行くような感覚、
ジグソーパズルを解くような感じがあるそうだ。
「わかる」と、戻って来る(我に返る)し、
逆に、「わからない」と思っても、戻って来る。
けれども、ぎりぎりの際どい勝負で、
微細なところでの選択が迫られる場面、
見極めが難しく、拮抗し、
限りなく五分に近い時に、深い集中状態になる。
相手も同様に集中していることが前提で、
互いの集中が深くなればなるほど、
自分と相手は共通してくるのだという。
茂木さんは、「数学者は、一人でずっと考えている」と述べ、
勝負における集中との違いについて、指摘した。
羽生さんにとっての深い集中は、長い助走時間の後、生まれるもので、
集中した後、全力を尽くした後は、すっきりするそうだ。
逆に集中できなかった時は、不完全燃焼となり、疲れを感じ、
それは精神的、肉体的ダブルパンチとなるのだという。
勝負を賭けた際どい場面で集中する時、
相手を倒すことを考えるよりむしろ、
相手と共通した状態を感じているというのは、
私にとって非常な驚きだった。
羽生さんは、「勝ち負けだけでは価値が無い」と、
はっきり言い切る。
羽生さんの話を聞いていて、私は、
勝ち負け以上のものというのは、
失敗を恐れず、新しい戦略に挑戦する意欲、
勝つことに執着しない潔さや、
精神における美しさなのではないかと思った。
勝つことにこだわらず、それを超えた境地に至るからこそ、
逆説的だが、並外れた集中力と強さが生まれるのだろう。