岡本太郎氏著 「壁を破る言葉」

今日、友人が、初めて名前を聞く人の作品を紹介した。
「どう思う?」
とたずねるので、
「うまいね! どんなテクノロジーを使って、作ったんだろう」
と答えた。
ところが、話は思わぬ方向へ。
「うまい。けれど、記憶に残らない」
「きれい過ぎるんじゃない?」
思わずそう言ったのは、私だが、
自分自身の問題として、今後何を目指すか、
考える契機になった。
きれい過ぎて、かえってさらっと流れてしまい、
心に引っかかって来ない…、とは。
帰宅して、夜、ふと本棚を覗くと、
二段重ねにした奥の方に、
以前買った本が見えた。
汚れないよう、ビニール袋に入れてある。
袋から出して、エイッと開いた。
思わず引き込まれた。
今は亡き岡本さんが、
あの、目を見開いた、噛みつきそうな顔で、
生前、語ったのだろう。
「いつも言っていることだけれども
 芸術はきれいであってはいけない。
 うまくあってはいけない。
 心地よくあってはいけない。
 それが根本原則だ。」
昼の友人との会話の中で、私は、
作品がうま過ぎる時、きれい過ぎる時、
創作者は、自分の引き出し、過去の蓄積を
使っただけ、引用しただけに
留まっているのでは、とも思った。
いつも使っているやり方だから、うまくいくし、
調和がある。
楽にできるし、人々の反応も予測できるので、安心だ。
けれども、作品には、何かごつごつしたものも
必要ではないか。
新しいものを生み出す時、未知のことに挑戦する時の、
心の有り様、姿勢。
そういう、形にならないものも、作品の中から
滲み出してくると考える。
不器用な私が、どうやって、
イメージするものを創っていこうか。
もがき、工夫し、何度もやってみる。
白紙に戻して、一からやり直す。
積み重ねたプロセスの中で、
ある時、こうだ!これだ!とつかむ。
さらっと流れるのではなく、
心に引っかかるもの、
それは、日々の葛藤の中から生まれるのか。
岡本さんの、あの激しい人生から生まれた言葉を
理解するのは容易ではないが、
私とはまるで違うように思われた岡本さんが、
この昼の疑問に、寄り添ってくれたように感じた。