オペラ「ロデリンダ」 (ヘンデル作曲)

ニューヨークのメトロポリタン歌劇場のオペラを
映画館で鑑賞できるMETライブビューイング。
今回はバロック・オペラ、ヘンデル作曲の「ロデリンダ」。
予備知識もなく、バロック・オペラが珍しかったのと、
ソプラノのルネ・フレミングの超絶技巧への期待で出かけたのだが、
威厳あるべき国王が、高い声で歌い始めた時には、
ぎょっとするに近い驚きがあった。
そして、国王を救おうとする忠実な臣下も高い声・・・。
国王と臣下はカウンターテナーという、
女声の声域を裏声(ファルセット)で歌う男性歌手だったのだが、
この「ロデリンダ」では、6名の登場人物のうち、
2名もカウンターテナーがいたのだ。
女性歌手が男装をして歌う「ばらの騎士」や「こうもり」などとは、
やはり違う。
国王と王妃の二重唱、国王と臣下の二重唱、共に、
独特のハーモニーが醸し出された。
カウンターテナーアンドレアス・ショル(国王ベルタリード役)、
イェスティン・デイヴィーズ(臣下ウヌルフォ役)は、
非常に速いパッセージを、高い声で巧みに歌う。
その技巧は、とても見事だった。
作曲者のヘンデルは1685年、ドイツに生まれ、
イタリアでオペラの勉強を深め、イギリスに渡り、
1759年、ロンドンで逝去。
J.S.バッハ(ドイツ 1685〜1750)と同時代の、
後期バロック時代を代表する作曲家である。
ヘンデルの父は、アウグスト公爵に仕える外科医で、
ヘンデルが生まれた時、何と63歳だったという。
ヘンデルの母は2番目の妻で、ルター派の名門牧師の娘であり、
当時34歳だった。
200年で50人以上の音楽家を輩出したバッハ家と異なり、
ヘンデル家では音楽家はおらず、
父は、ヘンデルが音楽家になることに反対したそうだが、
ヘンデルは8歳の時に、アウグスト公爵に才能を認められ、
音楽の勉強を始めたという。
ヘンデルは、師の楽譜を自ら書き写して勉強した。
月明かりや、ろうそくの火のもとで、楽譜を写して勉強することは、
想像を絶する困難さであったと思う。
ヘンデルもバッハも、晩年、目が見えなくなってしまった。
さて「ロデリンダ」は、1725年、ヘンデルが40歳の頃、
ロンドンで初演された。
ロンドンのロイヤル・アカデミー・オブ・ミュージックという
オペラ団体のために書いた作品であるが、
この団体はイギリス国王の保護のもと、
イタリア・オペラを21年間、
継続的に上演することを目的とした企業団体で、
運営の仕方は、一種の株式会社のようであったという。
ヘンデルはアカデミーの作曲家であると共に、オーケストラ長であり、
最初の仕事は、まず大陸に渡り、
一流のイタリア人歌手と、契約を結ぶことだったそうだ。
(つづく・・・)