「シンセの演出家 冨田勲さんの音のパレットをのぞく」 第2回 (1982年)

「シンセの演出家 冨田勲さんの音のパレットをのぞく」 第2回

   <<特殊効果の飽くなき追求>>
冨田さんの作品の面白さは、クラシックの名曲が、
シンセサイザーを通して新しい姿を現すことにあるが、
この種の音楽ならではの特殊効果も、いろいろと試みられている。
例えば、クラシックの原曲のレコードからは考えられないが、
左右のスピーカーの間で、音が自由自在に移動する。
彼は、方向感、距離感をリアルに感じることのできるような
迫力のある立体的音響を創ることに力を入れ、四チャンネル方式を取り入れたり、
「バイフォニック・ミキシング」という技術を開発した。
冨田さんは「音楽もひとつの素材であり、
それ以外のものを追求するやり方があってもいい」
という考え方を持っていて、
四チャンネル方式などは、彼にとって、「音全体を演出する」材料なのだ。
バミューダ・トライアングル』では、バイフォニック・ミキシングに加えて、
「五チャンネル方式」が導入されていて、
聴き手の後方や頭上にも「音が翔ぶ」ように感じられる、
超立体的な「ピラミッドサウンド」を体験させられる。
『大峡谷』は諸都合のために、二チャンネル方式に甘んじることになったが、
その枠の中で、できる限りの立体的表現を追求している。
第五曲の『豪雨』で、稲妻の閃きの描写がある(譜例1)。

譜例はグローフェの原曲の通りであるが、
☆印の閃きの瞬間、真に光が大地に突き刺さったかのごとく、
荒れ狂う風の音が突然耳に入らなくなる。
左右に渦巻くような暴風と、それを縦に切り裂く閃光―
五チャンネル方式などのような、そのものズバリの効果ではないが、
充分にリアルな感じが表現されている。
この稲妻の音は、原曲通りではない。
その一つを譜例2で示したが、冨田さんのオリジナルである。

原曲は、フルート、ピッコロ、トランペットで、
単純に「ファ」「ラ」の二音を鋭く吹いているだけなのだが、
一方、冨田さんの音は、ひどい不協和音であり、
しかも身の毛のよだつような音色で鳴らしている。
音を変えることに抵抗があったかどうかはわからないが、
この試みは、成功したと言えよう。
話を戻すが、『バミューダ・トライアングル』のもう一つの売り物は、
AB両面に一か所ずつ入っているコンピューターのデータ信号である。
マイクロコンピューターを用いると、そこに隠されている
”THIS IS THE BERMUDA TRIANGLE, OVER......”という暗号文が
映像に映し出されるのである。

   <<スリリングな聴き応え>>
冨田さんのアルバムで、私が特に気に入っているのは、『惑星』『大峡谷』である。
『月の光』は、各曲通して、シンセサイザーを駆使して
とにかくいろいろな音色を出してみた、という趣向が強い。
私としては、『パスピエ』『月の光』など、
宇宙的響きそのものを楽しんだ感じであるが、
アラベスク第一番』などの場合、他にも様々な可能性が感じられて、
「私なら・・・」と考えたりもした。
例えば『アラベスク』は、夢を綴っているようなファンタスティックな曲で、
冨田さんも、きらきらとした美しい滑り出しを見せているのだが、
途中でメロディーが滑稽な声で「ピパピパ」と歌い出す。
これが、ちょっと唐突な感じなのだ。
ユーモラスな『ゴリウォークのケークウォーク』での「ピパピパ」は
生き生きとして面白く、効果満点であるが。
『惑星』『大峡谷』では、アルバム全体が完璧に「冨田の世界」を形成している。
冨田さんの、これらの曲に対するイメージがはっきり伝わってくるし、
アレンジの構想も明快、全曲通して芯が通っていて、
その説得力の強さには、注文のつけようもない。
ユーモアに満ちた工夫も凝らされていて、
ただひたすら楽しく、宇宙や大自然の中で遊ばせてくれる。
『ダフニスとクロエ』は、とても美しく仕上がっているが、
私にとっては、先の二つほどの聴き応えはない。
『惑星』『大峡谷』には、アルバム全体で完結する壮大なドラマが感じられる。
そのスリリングな聴き応えが、冨田さんのシンセサイザー音楽の
最大の魅力だからである。
気分が高揚してきて、あたかも超大型スペクタクル映画を
見ている時のようである。

   <<オリジナルとアレンジの共存>>
クラシックの名曲のアレンジが、冨田さんの音楽である。
つまり、彼の作品の隣には、常にオリジナル曲が存在する。
従って彼の曲は「聴き比べ」されるのを免れない運命にある。
原曲と余りにもかけ離れた音楽に仕立ててしまったならば、
マイナス印象を与えかねないであろうし、模倣ではつまらない。
いかにして原曲を超え、しかも両者の共存を可能にするかは、
彼にとって最も重要な課題ではないだろうか。
私には、かなり思い切った構成でアレンジしたものの方が面白い。
シンセサイザーで新しく作られた曲、オリジナルから独立した曲として、
原曲と同時に楽しめる。
(もちろん、富田さんの方が面白い場合も出てくる)。
冨田さん独自の世界を築いていても、それを成功だと感じるものほど、
私の中では、より自然な形で二つの音楽は共存しているのだ。
冨田さんの音楽性は充分期待に添うものであるし、
抜群のユーモアのセンスもあるので、彼自身の世界の打ち出し方は強いほどいい。
ぐいぐい引き込まれる感じが最高だ。
(第3回に続く)